声|中島梓織




こんばんは、おぺです。



一週間前のことになりますが、ラフトボール2019参加作品『健康観察』、無事終演いたしました。ご来場いただきました皆さま、そして、関係者の皆さま、ありがとうございました。

今回は、ショーケース公演ということもあり、これまでのいいへんじの作品をご覧いただいていたお客さまはもちろん、たくさんのはじめましてのお客さまにご覧いただけたこと、たくさんのご意見やご感想をいただけたこと、さまざまな立場からの声をお聞かせいただけたこと、ほんとうに貴重な機会だったと思います。あの場に立ち会ってくださったすべての皆さまに感謝いたします。ほんとうにありがとうございました。


そして、今回は、旗揚げから二年、お互い変わったり変わらなかったりしながらやってきて、改めて、松浦みると、膝を突き合わせてじっくり創作をすることができた、苦しくも嬉しい日々でした。


わたしらしさやわたしたちらしさを、過去や未来に求めることなく、「強いて言うなら、ずっと「いま」なのが、わたしらしさ、わたしたちらしさです」と、これからも?、これからは?、胸を張っていられるように、覚悟を決め、変化を恐れず(にいることは難しかったので、実際には、まあまあ恐れながらも)、今回の創作に臨みました。

わたしは、ですが。

同じ名前を背負って、責任を持って続けていく、ということは、そういうことの連続でしょうし、変化しないようにすることでも、変化をしようとすることでもなく、「いま」の連続が、いつのまにか変化になる、いつのまにか変化になっている、ということの連続でしょう。ほんとうはだれにもわからない「わたしたちらしさ」にこたえようとすることよりも、「いま」に真摯に向き合うことをこれからも大切にしたいと思いました。

わたしは、ですが。

みるも書いていましたが、ちがうこと書いてても、ちがうこと思ってても、それもそれでよし、です。


***


「苦しい」という声を上げ(ようとし)たとき、その口を塞がれてしまった、という経験は、強く残ります。わたしには、強く残っています。

「聞いてもらいたい、聞いてもらえるかもしれない、と、思ってしまった、わたしが悪かったのか?」と、自分で自分の口を塞ぐようになります。口を塞ぐので、息が苦しくなります。息が苦しいから、「苦しい」という声を上げて、助けを求めようとするのですが、それをまた、自分が、自分の中のだれかが、口を塞ぎます。延々と、それをくり返しながら、生きている心地がしなかったころがありました。

いまでもときどき、ふとしたときに思い出して、息が苦しくなる夜があります。だれにも見られないように、泣いている夜があります。「病気をひとのせいにしている」という声が、わんわんとこだまして、自分の声が聞こえなくなるときがあります。やっと自分の声が聞こえてきたと思ったら、「その通りだ、全部わたしのせいだ」と、また、自分で自分の口を塞いでしまうときがあります。

で、情けないですが、いまもあります。たぶんこれからも、多かれ少なかれ、あるのだと思います。

わたしが、「いま」を大切にしたい、「いま」を大切にしたい、とあえて何度もそう書いているのは、わたしがもともと、過去に非常に囚われやすいことを、わたし自身が知っているからです。


わたしのなかで、ずっとくり返されている言葉は、ずっと聞こえている声は、だれの言葉なのか、だれの声なのか。そんなことを考えながら、今回の『健康観察』をつくりました。

わたしが、わたし自身が、わたし自身のことを救ってあげること、わたし自身の声を掬い上げてあげること。それを一番の目標にしていました。それが、まわりまわって、あなたが、あなた自身のことを救ってあげられるように、あなた自身の声を掬い上げてあげられるように、なりますように、と、祈りのような気持ちを込めて、上演をしました。

「自意識過剰な女の子」とか、「発達障害な男の子」とか、かぎかっこ付きの言葉に頼ることなく、(わたしはそんなつもりでヤスコちゃんやタケルくんのことを描いたわけではありませんでした。ヤスコちゃんはヤスコちゃんで、タケルくんはタケルくんでした。あとからそのような判断をされることはもちろん自由なのですが、かぎかっこつきの特殊な人物だから耳を傾けるべきだ、と、考えていたわけではありませんでした。正直ちょっとびっくりしました。わたしは、)そのひとの、そのひとだけの、そのひとだけのものなのだけれど、もしかしたら、わたしや、あなたや、あのひとにも、共通しているかもしれない言葉に、耳を傾けることを、大切にしていました。し、上演を終えて、より、大切にしたい、と、強く思いました。

できたことも、できなかったことも、たくさんありましたが、このちいさな一歩のことを、忘れないでいたいと思いました。これからも、なによりも、わたしとあなたはちがう、ということ、だからこそ、わたしの声とあなたの声、それぞれ「個人」の声に耳を傾けること、その、それぞれ「個人」の声をかき消してしまうような、だれか(たち)の声をじっくり聞き分けること、忘れないでいたいと思いました。


***


あの日のあのひと(たち)の声に、囚われ続けるのはもうやめます。いつかの、どこかの、だれかの、だれのものかもわからない声に、囚われ続けるのはもうやめます。その言葉はきっと、「いま」ではないどこかにあるものだから。

そのためには、「いま」のわたしが、考えることをやめないことだと、何周も何周も回って、そう思います。


「いま」を、「わたし」で、生きていきます。

そのときどきで、支えてくださるみなさま、助けてくださるみなさま、応援してくださるみなさまの声を、大切に大切に、生きていきます。

今後とも、中島梓織を、いいへんじを、よろしくお願いいたします。


いいへんじとしての次回公演は未定ですが、続けていく気は満々なので、またいいお知らせができるようにがんばります。(とりあえず卒業します!)

またお会いしましょう!



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