恐縮ですとかいって笑笑|飯尾朋花



はじめまして。


『あなたのくつをはく』の演出助手をさせていただきます、飯尾朋花と申します。

ブログを、書かせていただきます。恐縮です。


文章を書くことがあまり得意ではありません。

と、文のはじめの方に書くことでいつもハードルを下げている(いつもと言うほど書いていないけれど)ので、例に違わずハードルを下げて頂いてから読んでください。



いいへんじの稽古は、テーマやキャラクター、内容についてたくさんお話をするので、稽古中に色々なことを考えます。


考えることは時折苦しいけれど楽しいなあと稽古を通して感じました。



私は、「取り留めのないこと」や、「別に考えても解決するわけでも何かが変わるわけでもないこと」を考えたり話したりするのが好きなんですが、稽古中に考えた色々なことも、答えがないものばかりだったりします。


でも、少し前までは、明確な答えがないことを考えたり話したりするのは無意味で生産性がないじゃないかなんて思っていました。


だから、得意な科目も明確な答えがあるもの(数学や理科。ゴリゴリの理系。)だったし、皆で話し合うという行為もそんなに好きではありませんでした。皆で話しあってひとつの答えが出る事なんてほとんどないし。


どのタイミングで答えのない考え事やお話が好きになったのかは思い出せませんが、人の思考は流動的だなあなんて他人事のように思いました、今。



そうなんですよ、流動的なんですよね、人が考えることって。



でもたまに、その流動的な感じを許せない理系の自分(?)が出てきます。


なんでこの前と違うこと考えるんだよ!この前はこれが好きでこれがいやだったでしょ!ずっとそうじゃなきゃ理不尽だ!ずっとそれが答えであるべきだ!!と思ってしまう自分もいて、度々苦しくなります。


人はやっぱり明確な答えが欲しいと思ってしまう生き物だし、でも世の中流動的な物事ばかり(思考もそのひとつ)だから、どちらも受け入れるべきなんだと思います。


どちらも間違っていないし、同時に存在させるのは難しくて苦しいけど、そうしないと生きていけないから、頑張らないと。



ゴリゴリの理系だったくせに、答えなんてなくて当たり前の芸術(美術、音楽。あと、演劇も。)がずっと好きな自分はなんだかんだ苦しみながらも生きていけるんだろうなって思うんですけどね。



...いや、さっきから滅茶苦茶取り留めのない考察してるやん、やっぱり答えのない考え事好きだわ。



今回は自分の中の話ばかりだったんですけど、同じことが他人に対しても言えると思うんです。

自分のことだけでもこんなにぐるぐる考えるのだから、他人のこととなったらもう大変だと思います。てんやわんや。



でも、自分として生きる、他人と共に生きるためにも、ずっとぐるぐる考えます。



いや、ずっとではないです。飽きちゃうまでは、です。

思考は流動的なので。




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