手紙を書きました|中島梓織



こんばんは、おぺです。


昨日、「おとといのわたしへ」というタイトルで、手紙形式のブログを書いていました。が、眠たくなって、眠ってしまいました。ゆえに、一日更新が空いてしまいました。すみませんでした。

一晩明けて読んでみて、更新しなくてよかったなと思いました。(笑)


不特定多数に向けて書くブログよりも、宛先が決まっているお手紙のほうが、素直な気持ちを書けるので、素直な気持ちを書いてしまうので? いつも以上に、いろんなものが「出ちゃってる」文章でした。あぶないあぶない。

自分への手紙だしね。しまっとこ。


お手紙のことは何度もブログに書いていますが、昨日書きたかったのは「過去の自分へのお手紙」でした。「未来の自分へのお手紙」でもありですね。どちらにせよ、自分にお手紙を書くことについて、考えてみたかったのです。


昨日のわたしが、一昨々日のわたしに、お手紙を書こうと思ったのは、一昨々日のわたしよりも、昨日のわたしが「大丈夫」だったからです。

一昨々日のわたしに「大丈夫だよ」って言ってあげたくなったからです。


う〜ん、でも、そんなの、一昨々日のわたしからしたら「うそでしょ(泣)」って感じです。大丈夫じゃないときって、いくら大丈夫だよって言われても、「いやいま大丈夫じゃないからあ!(泣)」って、つっぷしてしまいます。

しかも、そもそも、昨日のわたしがお手紙を書いたとて、一昨々日のわたしにそのお手紙が届くことはないわけじゃないですか。だから、まあ、一昨々日の夜は、ただただ、大丈夫じゃないだけの夜だったわけです。

それでも、昨日のわたしがお手紙を書きたかったのは、なぜ、、


おそらく、昨日のわたしも、ちょっと大丈夫じゃなかったからだと思います。

まあこれ、今日だから言えることなのですが、、、


自分ではない誰かに大丈夫だよって言ってあげることで、言ってあげられることで、自分が大丈夫であることを確かめる、確かめられる。

そういうことってあると思うのですが、わたしは、過去のわたしに大丈夫だよって言ってあげることで、いまのわたしが大丈夫であることを確かめる、みたいなことも、けっこうあります。

つまり、いまのわたしのためなのですね!
いまのわたしのための言葉なわけですね!

それでいいと思います。

それでいまのわたしが大丈夫になるなら、そそそそっと書いて、そそそそって読んで、こっそりしまっておけば大丈夫です。

というわけで、とりあえず、昨日のわたしはオッケーということで!


でもでも、そしたら、過去のわたしや未来のわたしに、と手紙を書く余裕なんてないくらい、大丈夫じゃないときはどうしたらいいのでしょう、、

たとえば、一昨々日のわたしは、どこに気持ちを向けたらよかったのでしょう、、


もしかして、手紙を書く側になる余裕がないなら、手紙を受け取る側になっちゃうのも、アリ?

過去のわたしや、未来のわたしが、大丈夫だよって言ってくれるのを待ったり、もしくはもうわたしとかこだわらないで、だれでもいいから大丈夫だよって言ってくれるのを待ったり、

そこに罪悪感を感じないのがポイント!!

そうです、罪悪感を感じがちなのです。「いまのわたしは、過去のわたしにも、未来のわたしにも、顔向けできない、情けない、、」みたいな。しょせん、わたしのなかの話なのに。なぜ。

明日なのか、明後日なのか、一週間後なのか、一ヶ月後なのか、わからないけれど、もしかしたら過去の自分かもしれない、わからないけれど、「大丈夫だよ」って言ってくれるわたしや、わたしではない誰かのことを、想像しても、べつにいいんじゃないかなあ!

ね!
ね?

いやあ、まだ、べつにいいとは思いきれないかも、、あんまりまだわたしのなかでもまとまってないからかなあ、


大丈夫じゃないときほど、おかしな方向に思考が進んでしまったりするからなあ、

想像力に救われたり、想像力に苦しめられたり、っていうのひとつだと思います、、



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