うまくなさ|中島梓織
こんばんは、おぺです。
このあいだ、たまたま、ほんとうにたまたま中学時代のお友だちと、バイト先で会いました。
最後に会ったのは成人式のときで、そんなにめっちゃひさしぶり!というほどではなかったのですが、バイト先で「いらっしゃいませ〜」とか「いかがですか〜」とか、完全にそういうモードだったので、なんだかおかしな話し方になってしまいました。
この子と話すとき、わたし、どうやって話してたっけ?
と、考え直したのは、お友だちと別れて、バイトを終えて、電車に乗った頃でした。びっくりしていたので、あんまり覚えていませんが、おそらく、中学時代とは、ぜんぜんちがうテンションで、ぜんぜんちがうテンポで、ぜんぜんちがう語いでもって、話していたんだろうな、と思います。まあまあ、わたしたちもさすがに二十歳になりましたしね。十五歳と同じそれだったら逆にすごい。
五年前との比較なら、まあまあ、分かることですが、最近は、一ヶ月前ぶりや一週間ぶりに会うひとに対しても「この子と話すとき、わたし、どうやって話してたっけ?」みたいになることがあるから、それはね、びっくりです。
もしかしたら、これを読んで、「たしかにおぺちゃんこないだ会ったときとそのまえに会ったときでなんかぜんぜんちがったな(笑)」みたいな方がいるかもしれません。いないかもしれません。いなかったらわたしの思い過ごしです。わたしの思い過ごしで、ぜんぜんいいのですが、そのことで、ひとりでもやもやしていることはわりと多いです。
一年前くらいから、うまく話せなさを感じることも多くなって、うまいの基準はいろいろあるし、一概に言えるものではないので、絶対的に「うまく話せなくなってる」というわけではなく、「うまく話せなさをよく感じるようになってる」という感じで、、
「どうやって話してたっけ?」→「こんなんじゃない」とか「こうやって話したい!」→「こんなんじゃない」とか。
「こうやって話す」みたいな脚本や演出が自分の中にあるのかもしれないし、「こうやって話すやつ」みたいな理想像が自分の中にあるのかもしれません。
何にせよ、絶対的な「うまい」「うまくない」がない時点で、自分の中での問題なのだろうし、悲観的になりすぎて、目の前の相手や、そのコミュニケーション自体に向き合えなくなっちゃったら本末転倒で、それこそ「うまくない」とも思います。
もう、なんなんでしょうね、これ。
最近、なんだかそんなことばっかり考えてしまうので、なんでもない話ができる場所、なんでもない話ができる相手、そのたびに、めちゃくちゃ安心しています。意味なんてなくておっけいの雰囲気にめちゃくちゃ安心してしまいます。
「意味ある話しなきゃ!」→「こんなんじゃない」もよくあるパターンだからなあ。
へーい!もう!うまく書けなさ!
なるべくあかるくしめるとしたら、なんでもない話をしてくれるみなさん、いつもありがとう!!!
なんの話だっけ!
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