ラブレターではないけれどを読んでしまったけれど|中島梓織



こんばんは、おぺです。


今日は、以前、いいへんじ『生活(いきいき)』の「ノリ」に出演してもらった、劇団てあとろ50'所属の、とても信頼している後輩、たたかい方はちがうけど、おなじものとたたかったりたたかわなかったりしている後輩、野花紅葉ちゃんのブログを読んで、考えてしまったことを書きたいと思います。

紹介下手か!

まずは彼女のブログを読んでみてください。彼女の言葉はまっすぐこちらに届いてきますよ。すごい。




まず、『つまり』を経て、「好き」という言葉と、「大切」という言葉を、意識して使い分けるようになったわたしですが、

えっ!!「大切」って!「もっとも」!なんだ!!えっ!!聞いてない!!聞いてないよ!!

となりました。

普段あんまり辞書引かないからなあ。自分の都合のいい意味で解釈しがちだからなあ反省反省です。お恥ずかしいです。


そうかあ、じゃあじゃあ、わたしが普段「大切」だと思っているひとのことを、そういう意味で考えてみよう、と読み進めます。

たくさんある「好き」なものたちの中に、ひとつもっとも「大切」なものがある(のかもしれない)

ということと、

なにかを「大切」にするためには、なにかを「大切」にしないことを決めなければならない(のかもしれない)

ということを、考えたわけです。

ここでぐさっと刺さるものがあります。

なにかを大切にするために、なにかを大切にしないことを決める、わたしはこれ、「責任」だよな、と思いました。

大切にする「責任」が負えないのなら、大切にすることはあきらめます。そう言い切れるところが、とても誠実だし、とても強いと思います。

わたしは、この「責任」がけっこう苦手で、

え〜、、ちょっと、、あれもこれも大切ですけど、べつにどれがいちばんとかないんです、、どれも大切です、、ああっ、ちょっと待ってください、あっちを大切にしたいんで待ってください、、ああっ、なんだかんだで大切にできない、、ええっ、待ってくださいちょっと、、、

ってなりがちなので、、


そして、書くことの話。

これは紅葉とも話したことがあることなのですが、わたしたちは、何かを「吐き出す」ように書くというところでは共通していますが、

彼女の場合、その原動力となるものが「怒り」であることが多く、わたしの場合は、「悲しみ」であることが多いです。

これはちょっとおもしろいです。性格のちがいかな、あんまり怒らないし、怒ってもそのあと悲しくなっちゃうことが多いからかな、、

っていうのは、あんまり関係ないんですけど、あんまり関係ないんかい!

「怒り」でも、「悲しみ」でも、わたしたちは何かを「吐き出す」ように書いてしまうんですね。


わたしは、「大切」なものは「嘔吐」したくないのです。

ああ、うん。

もちろん、食べたものすべてを「嘔吐」するわけではないけれど、いつ、なにを「嘔吐」するかわからない。

わたしの書き方は引き出しを開けていくという表現よりもやはり「嘔吐」という表現の方が適切であるように感じるのですが、使えそうなものをピックアップするというよりは、もっと突発的で、衝動的で、無差別的なものだからです。

そしてなにより、完全に自分のものになる前に食べたものを口から戻してしまうかもしれないということが、なんだかすごく悲しくて、寂しくて、虚しいのです。

ああ、うん。

もうね、そうね、もうね、そうなんだよね。なんだかすごく悲しくて、寂しくて、虚しいんだよね、、、

「ラブレター」
「好き」でも、「大切」でも、
「嘔吐」してしまったら意味がない。
「好き」だから、「大切」だから、
「嘔吐」してしまわないように、
「大切」にすることは諦めました。
「大切」にはできないけれど、
変わらずわたしはあなたが「好き」です。

え〜、、強いよ〜、、紅葉〜、、

わたしは、なんだかんだここで言いわけをして、やっぱり「好き」です。やっぱり「大切」です。そして、書きます。すみません!書きます!!って、言ってしまうと思います。

すみません!ってなんだ!

紅葉は、自分のたたかい方、書くこととの向き合い方、「好き」や「大切」との向き合い方、を見つけた?見つけていく?わけですが、

すみません!って、逃げてしまうわたしは、書いてしまうわたしは、じゃあ、どうやって、たたかうのかなあ、たたかうべきなのかなあ、、あなたを「大切」にできるのかなあ、、って、考えてしまったわけです。


たとえば、わたしはどうして『夏眠』と『過眠』を書いたんだろう。

それらはもうすでに吐き出してしまったものなわけです。完本してしまったし、これでいきますと言ってしまったし。

でもでも、それでも、それで、あなたを「大切」にできる余地が残っているとしたら、わたしには、なにができるんだろう。

え、、もはや、、手遅れ、、、??

いやいや、そんなことはない、そんなことはない、と信じたくて、わたしなりの「大切」とか、「誠実」とか、「強さ」とか、わたしがわたしのままでなにができるかとか、考えなきゃって感じです。感じです、いま。。

考えなきゃって感じなので、考えなきゃって段階でしかないので、答えは出てないです。

作品づくりも佳境を迎えようとしているいま、集中稽古期間、小屋入り期間、ちょっとずつちょっとずつ、考えていくんじゃないかなと思います。


はじめにも書きましたが、紅葉とは、たたかい方がぜんぜんちがいます。ぜんぜんちがうのに、ぜんぜんちがうからかもしれません、いつも、はっとさせられたり、考えさせられたり、勇気をもらったりしています。

今回もそう。たくさん引用しちゃいました。

ラブレターを書く前に、ラブレターのための文書を書く。そうだよな、そうなんだよな。。



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