チカチカする|松浦みる
みどり!!
実物でも写真でもきれいな風景にほとんど感動しないので、木の写真をブログに載せる私に私自身びっくりです。
私、新しいめがねを渡されて、あまりに今までと見えるものが違って、このめがねで人を見たくなくなりました。だから、自然。自然の見え方は変わらなくて安心だから見ちゃいます。
でも渡されためがねを絶対外さない、もっとはっきり見えるようになるまで外してはいけないなと思います。
「めがね」って例えるの超便利ですね。しっくりで多用しちゃうな。
まあ私の名前の由来って、ほとんどそういうことです。
違うめがねを渡されること、渡される=こういう見方があるんだよ と知ることまでは、簡単に起こることかもしれません。
でもめがねをかけてみる(何?試着?)=その人が見えている世界を共有することって、やろうと思ってできることではない気がする。難しすぎる。
私の場合、演劇でしかまだそれができないです。毎公演何かしらのテーマがあり、それについて数ヶ月かけて調べて知って目の当たりにして悩んで辛くなってストップかけてストップ外して ってやってるうちにやっと、やっと、1個試着できるようになる?
(本番前っていつもわ〜ってなってるよね〜との客観的お言葉もいただきました、私は好き好んで自分の情緒を乱しにかかっているのですね怖い怖い)
他の人がどんなきっかけで新しい見方を習得していくのか、分からないのですが、自分から知ろうとしないと習得できない…ですよね…?
どんだけ強いんですか。
どんだけ勇気があってどんだけエネルギー消耗してるんですか。
そして他人にめがねを無理やりかけさせること、かけてねと期待することって、どうなんですか?
乱暴になりませんか?やり方次第ですか?こちらの都合で相手を変えるってどうですか?
私が変えてみせるっていう考え方が、誰かを救うときがある!
私が変えてみせるっていう圧力が、
相手を苦しめるときがある!
「知れ」と「変われ」を区別してみろですかね?でも、知るためには一回、その人の立場になってみる必要があって、その体験はその人の実際の体験には到底及ばないけど 絶対軽いものじゃなくて、あっ「はかりしれない」やつだ〜………
ということをとりあえずは今週末にかけて、及ばない身ですが諦めず考えていきます。
若いな〜世間知らずだな〜と思われる思考と文章しか書けないことが情けないです。
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