2月9日 2日目|木村のばら

こんばんは。木村のばらです。

2日目が終わりました。

3回のうちの2回が終わってしまった…。

始まると、本当にはやいですね。


下北沢演劇祭、下北ウェーブ、本当に素敵な企画です。
本当に、参加できてよかった。

本当にって、たくさん使ってしまう…。ほんとにほんとになんです。

スタッフの方も、頼もしくて、優しくて、穏やかで、そこからすでに、とてもいい空間になっていて、あとはもう、自分たちが頑張るだけだ!という、最高の舞台を用意してくださっています。

旗揚げして一年経たずで、個人的にも、生まれて演劇を始めて一年と少しで、こんなに素敵な場所に呼んでいただけたことに、改めて感謝が尽きません。

どれだけやっているか、とかは、その一秒の価値によるから、ひとまとめに言うべきではないと思っていますが…。


いまだからこそ、意味があることが、最高濃度でできていると思います。

いつだっていまだからこそできることですが、そこに、まっすぐに向き合って、うんうん考えて、一生懸命出したこたえ、こたえになっていなくても、いまだからこそ出せるこたえを、出せることに、出せる環境にいられることに、幸せを感じています。


まだまだかけだしですが、エンジン全開!!!というわけではなく(全開ですけれども)、あくまで、しっかりと見つめていきたい、自分が、今いるところ、考えていること、感じていることにウソはつきたくない、その姿勢を保てるのは、そうあれる場所があるからだと思います。

そこにいるの、うそみたいです。

なに夢見がちなこと言ってるんだと言う感じですが、本番近くなって、本多スタジオで稽古をして、近づくにつれて実感がなくて、でも毎日、本番になっても、一つ一つ積み重ねていっていて、お客さんがたくさん見てくださって、感想をくださって、これは本当に幸せなことなのかもしれないなと、いま思います。


このお話が、いま、わかる人も、前そうだった人も、これからわかる人も、わかんなくても、何か思う人も、みんなが、見終わったあと、自分のことを考えてくれたら嬉しいなと思っています。


個人的なお話ですが、
わたしはつまりの劇中、無意識に、すこーしだけ、救いの手を差しのべるところがあります。

その言葉は、わたし自身が救われないとこんちゃんは救われない、と思うのですが、救われたというお客さんの声を聞いて、本当にやってよかった、と思いました。

そう思ってもらえるためだけにやっているわけではもちろんないですが、この作品を、作品にしようとする試み自体が、肯定していて、肯定していいんだ、というところの、ひとつの要素になれていることが、それが作品を通じて伝わったことが、とても嬉しかったです。

この作品が、大好きになりました。
お客さんからのこたえがあって、初めて作品が完成しているような、そんな気持ちです。

いつも、いいへんじの劇は、本番を迎えてから、大好きになるので困ります。
こたえを大事に、というのはわかりづらい、ように見えてとても簡単なことでした。

どんな人のどんなこたえでも、それがあって、作品が完成する、そういう劇をつくれて幸せです。


内輪の話になってしまいますが…。

あのとき、いいへんじに入ってよかったし、ふたりには、とても感謝しています。
し、尊敬もしています。
それは日々強くなっています。

中島梓織がこの題材で作品をつくるのに、近くにいるからこそ、どう思考を巡らせて、どう苦労したかすこしは想像がつくし、
松浦みるがこの作品のあの役をするのに、近くにいるからこそ、どう理解しようとして、どう壁に当たって、どう乗り越えたかもすこしは想像がつきます。

言葉にはしないけれど、とても影響を受けています。

わたしは二人になにか思わせることができるだろうか、できているだろうか、と、いや、うまく言えない、それだけではないんですが…はみ出したことをうまく言えないですが、省みることもあります。

ただ、近くにいられるのは幸せなことだと思いました。


中島梓織と、松浦みると、
そして素敵な客演のみなさんと、
この作品を一緒に作れて幸せで、いま体のそこからなにかがわいてきています。

明日、最後、全部を大切に、楽しみたいと思います。


見にきてくださったお客さま、関わってくださっているすべての方に、感謝します。
本当に、ありがとうございます。


全部終わったみたいなブログ書いてしまいましたが、今の気持ちを書いてしまいました…。


最終日、お待ちしております!


それでは、おやすみなさい。


木村のばら


いいへんじに加入してから、木村のばらになってから、半年とすこしが経ちました。初めて、ばらの花をいただきました。嬉しかった…。大切に持って帰りました。


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