やすらぎ|中島梓織



こんばんは、おぺです。


月曜日!ということは、今日から小屋入りでした。

でした、といっても、仕込みはスタッフのみなさまにしていただいていて、わたしたちはいつも通り、稽古をしておりました。(いつも通りといっても昨日から本多スタジオなので終始わくわくなのですが!)

正直あまり実感がないです。ほんとうに、お世話になりっぱなしで、ありがとうございます。

あさってがわたしたちの本番です。


さて、今日でもなく、明日でもなく、あさって、という、近いのか遠いのかいや遠いことはないけれどもまだ!というビミョ〜な本番との距離に、そわそわしちゃってしょうがないので、落ち着いて、

演出部の八杉美月のことを書きたいと思います。


いえ〜い。

仕込みに少しお邪魔したあと、稽古まで時間があったので、下北沢の喫茶店、ザックにいっしょに行きました。


八杉には、いいへんじの旗揚げからお世話になっています。ハイの舞台監督、いきいきの役者、そして今回、つまりの演出部。

ハイのときは、「客席を三角形に並べて外向きにしようと思うんだけど…」という意味不明(意味はあります!)なオーダーにも、「これはまた…(笑)」と言いながらも応えてくれて、椅子を何個並べられるか計算してくれました。

生活(いきいき)のときは、「劇中にツイッターを更新するんだけどその前に八杉にめっちゃ長い前説をしてほしいんだけど…」というこれまた意味不明(意味はあります!)なオーダーにも、「…はい(笑)」と応えてくれて、「わたくし八杉といいます、こんにちは〜」って言ってくれました。あの表情ね。


今回もね。いや〜、今回もね。八杉がいなかったら『つまり』はここまで来れなかったと思います。

いや〜、ほんとにね。


稽古が始まったばかりの頃、言葉をひとつひとつ噛み砕いていくような稽古の頃、わたしばっかりばばばばばっとしゃべっちゃって、役者のみんなを置いていってしまうことが多々ありました。

そんなときに、すっと「こういうことだよね?」と解説を入れてくれるのが八杉です。「そ〜なのよ〜そうそう〜」とわたしが言ってる間に、役者は「そうか!」という顔をしているし、八杉の言葉に乗っかってさらに説明をすれば、わたしも、役者も、納得をしながら稽古を進められる。

そんな感じなのです。ありがたいことです。


稽古場は、わたし(演出家)とあなた(役者)の応えを大切にする場だと、ずっと思っていました。し、いまもこれからもきっとずっとそうです。

応えを大切にすることは、言葉を大切にすることだし、言葉がなかったら、考えていることを共有することはできません。今回は、作品のテーマも相まって、より言葉を交わすことが重要な意味を持つ稽古場でした。

ただ、どうしても、わたし(演出家)とあなた(役者)の言葉だけだと、重なり合う部分を見つけられないときがある。考えていることを共有することができないときがある。

そんなとき、わたしでも、あなたでもない、どちらでもない「だれか」がいることが、どれだけありがたいことか。


きちんと、「わたし」や「あなた」になるべきときはなりながら、あっ、いま「だれか」になったほうがいいかな?、と気づいたときにはそうなれる、そういうしなやかさを持ち合わせた彼女は、なんでしょう、なんでしょうね。

いいへんじの作品が生まれる瞬間を、いちばん近くで助けてくれる、見届けてくれる。そんな、助産師さんのような存在、とでもいいましょうか。

あ、そうですね!助産師さんです!(書いてはじめてそうだと思ったやつです。)


劇場で本番を迎えるときには、わたしは役者たちに、あなたはお客さまになります。わたしは「だれか」になります。わたしとあなたのあいだの「だれか」になることって、まあまあどきどきすることだと思うんですけど、それができちゃうからすごいんですよね。

で、きっと、本番を迎えるその瞬間も、八杉が助けてくれるんだろうな、見届けてくれるんだろうな、なんて、期待をしてしまったりするけれど、その期待を、大きなプレッシャーとは感じずに、「そうね(笑)」と応えてくれるのが八杉です。そう、すごいんですよね。


あ〜もうなんかやすぎやすぎいいすぎやすぎ!大好きか!大好きだ!ありがとう!


今日、八杉のことを書いたのは、本番を迎える前に書いておきたかったというのもあるし、八杉といると不思議と心に安らぎが訪れるので、書いておきたかったというのもあります。本番前でそわそわしちゃったので。


やすらぎやすぎ。


最終稽古もよろしくね!無事産み落として、あとは、見守る「だれか」になろう。

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