あらんかぎりのかがやき|木村
こんばんは。木村のばらです。
1月も終わりました。
1月、色んなことがありました。
2日から一週間お芝居をさせていただいて、私はかなり、考え方が変わったように思います。
もう、いまの環境とは別の何かを求めている自分がたしかにいて、それでも、既に決まっている約束があって、きっと、その、自分のためにがむしゃらに行動できるのは、9月を過ぎたあたりになってしまうと思うのですが。
私はねっとりとした関係性に馴染むことができないことに気が付きました。
これは、伝わらないと思うのですが、伝わらなくても大丈夫なことです。
とても多い、とても多い。これから先もなんか、ねっとりとしている感じがします。
いつもに比べてトゲのある言い方をしていますが、これを悪いと言っているわけではなくて、いまの、2018年2月1日の午前0時55分の私にとって、違和感があるだけです。
自分が、気に入ったものの集まりで何かを行う、とか、特にそうだと思います。
想像の範囲内の面白さとともに私はそこに居続けることが苦手で、できないだけで、悪くない、むしろとても意味のあることなのですが、向いていないとはっきりわかりました。
2年前も、そうだったんでしょうね。
あの6畳の部屋で私は一度大気圏を突破したんでしょう、がらりと、いや、元からある価値観を、より自覚できたと思います。
いまの私は、41度のいいにおいのお湯に入り続けるよりも、44度と水風呂を行き来したいのです。
企画にかけてみました。
1月、色んな思いをしました。
お正月は無かったけれど、自分でも気が付かない間に、大きな変化が起きていました。
これからの半年間は、それの準備期間のような、2018年は、そんな年にしようと思います。
最近、人と話すことが多々ありました。
話している中で、この人には、自分からバーーっと話してしまっているな、でも、この人に話していると、自分でもわからなかった自分が思っている、考えていることがどんどんどんどん出てくる!なんだこれ、という経験を久しぶりにしました。
真面目風な感じでどうでもいいことをバーーっと話すこともありますが、それはそれでいいと思っているからで、真面目だとすら思っていない、自分の話ができる相手というのは、すごいなと思いました。
私が悩んでしまったり、落ち込んでしまったりして、解決するわけでもなく、ただ自分の話をしてしまっていることがわかっていて、相手も私が自分の話をしていることをわかっていて、それもわかった上で聞こうとしてくれて、それに対して、思ったことを言ったり言わなかったりできる、その逆も然り、そういう関係性を、私は大切にしなければいけないと思いました。
私は言って自分を見つけるタイプで、言わずに自分を見つけるタイプの人もいて、ただ、そのなかでちょうどいい、をみつける作業が、面倒くさくないことって、すごいと思います。
そういう、表面で知ったつもりになる段階から、一歩先に一緒に行ける関係性を、大事にしていかなければならないと、ここ最近痛感しました。
ああ、面白いことがしたいなあ。面白いことに出会いたい。ぶつかっていきたいなあ。
明日から2月、いよいよ本番近いです。
こんなブログの最後に書くのか〜いということですが、私にとって学生最後のいいへんじユニット員、いいへんじの俳優としての活動となると思います。いいへんじへの出演は、一年間はお休みです。
今後のあり方を自分なりに考えています。
とりあえず最後の公演、面白くするので、見に来てください。
学生のうちは、これがいいへんじ最後か〜。不思議なもんです。
そんなところで、とくに言いたいこともなかったので、いまたまたま浮かんできたことバババッと書きました。
おやすみなさい。
木村のばら
皆既月食、稽古終わりに見ることができました。きれいだったな、たのしかったな。
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