あきた!|中島梓織



こんばんは、おぺです。夜分遅くに失礼します。


こいつ、ついに、飽きたのか…?!と思ってこのブログを開いたみなさんは一体何に「ついに飽きた」と思ったのでしょう。いくつか予想はできます。


ずばりそれは!

「悩む」です!


そうそう。そうなんです。もう、悩むの、いいかな!って感じなんです。

いろんなことがありすぎて、いろんなことがありすぎたうえで、のどもと過ぎれば、ではないですけれども、そのときどきの悩みのうち、変わらずいまも悩みつづけていることって、そこまでないな!ということに気づいたんです。

「じつはぜんぜん大丈夫。そんなに悩まないで」と過去の自分にやさしく声をかけてあげたい悩みもあれば、「なんだこんなもん!」みたいな悩みもあります。いずれにせよ、一ヶ月前と変わらず悩んでいることなんて、じつはそこまで多くないのです。

そこまで多くないということは、少なからずあるということではあるんですが。

でも、それはもうもはや悩みつづけてもぜったいに解決しないということで、「悩む」から一歩引いて「考える」対象にするか、悩んでも考えてもしょうがないからあきらめるか、他にもあるかもしれませんが、そういう選択をしたほうがいいような気がしてきたのです。


だったらわざわざ「考える」の前に「悩む」のステップを踏まなくてよくない?!どのみち終わりが来るんでしょう?!えっ、や〜めよっ!

というわけです。


というわけです。と言ってみたところで、逆のこともあるからややこしいです。考えてるつもりでもいつのまにか悩んでるときもあるんですよね。

だから、厳密に言うと、「悩みはじめる」のや〜めよっ!というわけです。おそらく。


「悩む」と「考える」のちがいというのは感覚的なところでしかなくて、はっきりとこれ!というのはないのですが。

ひとつには「おもしろがれるか」がおおきいなということに最近気づきました。


たとえば、恋に悩んでいたとして、お友だちに悩みを相談して、「なにそれおもしろ!」って言われたらムカつくじゃないですか。「おもしろ!じゃねえ!」じゃないですか。「カワイイ〜」でもいいかも。「カワイイ〜じゃねえ!そういうのいいから解決策をくれ!」って感じ。

でも、それって、必ずしもそのお友だちに悪気があるというわけではなく、目の前のひとのことを考えてみようとしたからこそ「おもしろい(興味深い)」ということが多いと思うんです。

興味がなかったらはじめから「はーん、へー、こうこうこうすれば無難なんじゃなーい?わかんないけど」みたいにテキトーに済ませてしまえばいいわけで。「おもしろ!もっと!もっと話して!」とはなりません。

(ただ単純にバカにされているということも、なきにしもあらずですが。やさしい世界であれ〜)


その類いの「おもしろ!」を自分に対してできたら強くない?


基本的に、過去の自分はほぼ他人なので、いままでも過去の自分に対して「おもしろ!」と思うことはできました。それで作品をつくったりもします。

ですが、いまの自分に対してやってみるというのは、できない、というよりは、まずそういう発想がありませんでした。

えっ、や〜ってみよ!(笑)


「考える」のときは必ずおもしろがっているかと言われればそうではないですが、少なくとも「悩む」のときにおもしろがっていることはないので、(おもしろがれてたら、もはやそれはもう悩みではなくなっている、みたいな)おもしろがろう、とすることはいいことなのかもしれません。


なんてね〜、言うのはかんたんなんですけどね〜。


まあまあ、でもでも、悩んでるだけで考えてる気になっちゃうほうがこわくて、悩んでるだけならまだしも。まだしもですれけども。だから、それだけは気をつけます。 




(このスタンスの変化、この作品をつくっている途中にじわじわ起こってちょっとよかったなって思ってます。終わったあとに気づくのだと遅かったかも。ア〜〜〜〜ッ!!ってなってたかも、です。)


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