つまり|中島梓織



こんばんは、おぺです。


『つまり』をつくりはじめてから、ぐるぐるぐるぐる、考えを巡らせて、どうにかなりそうになったとき、いったん、つまり?と立ち止まるくせがつきました。


なので、

立ち止まります!

たぶん、

長くなります!


では、どうぞ!



言葉にするということは、気づくことだし、傷つくことです。気づかせることだし、傷つかせることです。

だけど、わたしは、どうでもいいひとの言葉で気づいたり、どうでもいいひとの言葉に傷ついたりはしません。したとしても忘れます。

大切なひとの言葉は、ちがいます。

大切なひとの言葉で、気づいたり、傷ついたりしたことは、ぜったいに忘れません。忘れたとしてもぜったいにいつか思い出します。

なんでって、その言葉が、いまのわたしをつくってくれているからです。その言葉がなかったら、いまのわたしはいないからです。

わたしは、だれかにとって、あわよくば、あなたにとって、そういう言葉を紡ぎ出すことができるひとでありたい。


だけど、それは、とても難しいことです。

そういう言葉は、紡ぎ出そうと思って紡ぎ出せるものではないし、そういう言葉を紡ぎだそうとしている過程で、わたしが気づくことも傷つくこともあるし、あなたを気づかせたり傷つかせたりすることがある。わたしにとってそういう言葉のつもりでも、あなたにとってそういう言葉ではないこともある。

「いまのあなた」をわたしがつくるだなんて、つくってあげるだなんて、おこがましい。なんて失礼な話でしょう。


だから、あくまで、わたしは、「わたしのために」、あなたのためになりたくて、すべては「あなた(が幸せであるというわたしの)幸せのため」なのです。

だから、あくまで、わたしは、わたしのために、「わたしのため」ということを忘れずに、言葉にすることをあきらめたくないです。


あきらめなかったからといって、あなたが必要としている言葉を、いつか必ず紡ぎ出せるというわけではありません。あきらめたくなります。

だけど、あきらめてしまったら、もしかしたら紡ぎ出せたかもしれないその言葉を、わたしも、あなたも、手に、目に、耳にすることはできません。

ぜったいにあきらめるな!という根性論みたいなことを言いたいのではなく。

つまり、

あきらめようと思えばかんたんにあきらめられることを、それでもあきらめたくないと思えるくらい、あなたのことが大切なのです。


そして、それほど大切だと思えるひとがいるだけで、わたしは幸せです。大丈夫。「このまま一生幸せになれないんじゃないか」と思ってしまう夜もあるけれど、大丈夫、ちゃんと、幸せです。


そしてそして、ぜったいに忘れてはいけないのが、わたしがいくら「言葉にすることをあきらめない」からといって、それをあなたに押しつけることは許されないということ。

これをいつも忘れてしまいます。

あくまで、わたしは、わたしのために、言葉にすることをあきらめないだけ。

わたしが言葉にすることをあきらめないことは、あなたが言葉にすることをあきらめない(でいてほしいと思う)理由にはならないし、わたしがあなたを大切だ思うことが、あなたがわたしを大切だと思(ってほしいと思)う理由にはなりません。


ふつうに、さみしい。

でもきっと、そういうことなのです。


「さみしいけど、それでも」と思えるひとがいます。すごい。でも、ごくわずかです。

「さみしいのに、あきらめてもいいのに、それでも!」は、エネルギーがいります。そのエネルギーをたくさんもっている、太陽のようなひともときどきいますが、少なくともわたしはそうではないみたいです。

そうでありたかったですけどね。

だったら、まずはやっぱり、「それでも!」と思える大切なひとのためになりたいわたしのために、言葉にします。あきらめません。


余計なことばっかりしゃべってしまうし、時間がかかるし、下手くそだし、大切なことほど後回しにしてしまって、もはや言わなくてもわかるようなことになってしまうこともあるけれど、それでも、

言葉にすることをあきらめません。



やっぱり長くなってしまいました。もう〜「つまり」なんだから簡潔に言いなさいよ〜。言いなさいよ〜、もう〜。う〜。


きれいごとだと思われるかもしれません。

そりゃあそうです。いろんなものを削ぎ落としてきれいにすることが、「つまり」とまとめるということですから。

きれいではないものがある、むしろ、きれいではないものばかりということは、わかっています。

それでも、

と思うのは、やっぱり、大切なことだから。忘れたくないことだから。きれいではないままだったら、わたし、見ようともしない。めちゃくちゃ弱いから。

だから、きれいごとを、こうやってつらつらすること、ゆるしてください。



で。

作品としての『つまり』はというと、まだまだなんにもまとまっていません!

やっべえ!

やっべえ!ですけど、そんな『つまり』を作るうえで、わたしはこうでありたい、ということはまとまりました。

少なくともあと一ヶ月は、今日まとめたことを大切にして生きていきたいと思います。各方面、改めまして、お世話になります。よろしくお願いします。



みなさんに見えるかたちでこうして言葉に残しているのは、できてない(ことに気づいてない)ときに、「できてねえぞ!」って言ってもらいたいからです。

「できてねえぞ!」って言うってことだけ、お願いしてもいいですか?



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