いま?|中島梓織
こんにちは、おぺです。
茨城から東京へ戻っているところです。つくばエクスプレスです。TXです。
12/29から1/7まで、いままででいちばん長い帰省だったと思います。めちゃくちゃ休んでしまった!(いろいろ滞っているのですが今夜から順々に片付けますのでお待ちください!ごめんなさい!)
昨日は成人式でした。
着付け会場で「本日はおめでとうございます」と言われるまで、ぜんぜん実感がなかったのですが、振袖を着て、旧友に会って、恩師に会って、(甘噛みまくりの司会で、)スライドショーを見て、偉い人の話を聞いて、とにかく写真を撮って、タイムカプセルを開けて、パーティドレスに着替えて、お酒を飲んで、昔話に花を咲かせて、二次会まで行って、と、どどどどどどっと「成人式」の実感が押し寄せてきたような、怒涛の一日でした。
小学校6年生のタイムカプセル。
嵐とお笑い芸人が大好きだった12歳のわたしは、なんと、歌手になりたかったらしいです。
「夢を叶えていますか?それとも夢を叶えている途中ですか?」(ごめんよ〜歌手にはなれないんだよ〜ピアノもやめちゃうんだよ〜)「夢が変わった、はナシです(笑)」(読まれてる!!!!!)
そして、12歳のわたしから、20歳のわたしへの最後のメッセージがこちら。
どんな12歳だよ。
ただ、我ながら、自分の言葉に勇気づけられた自分もいました。とにかく、今を。ね。
中学校時代の友達と久々に会って、みんなぜんぜん変わらないのに、お洒落してるし、お酒飲んでるし、煙草吸ってるし、大学生のひとも、専門学生のひとも、もう働いてるひともいるし、まじめに恋愛とか家族とかの話するし、なんだかな〜、なんだか、不思議な感覚でした。
その当時の、いわゆる「黒歴史」と呼ばれる出来事を掘り返されると、ウワ〜〜〜!!!ってなるタイプです。昨日もウワ〜〜〜!!!ってなってしまいました。忘れていたこと、というか、忘れたかったことだったのかも。「切り替えられてないじゃん」とズバッと言われてしまいました。
冷静になってあとで考えたのですが、いままでのわたしって、「今を生きる」ことに必死すぎて、ほんとうの意味での切り替えはできていなかったんじゃないでしょうか。
たとえば、めちゃくちゃ恥ずかしいことがあったとするじゃないですか。で、しばらくそのめちゃくちゃ恥ずかしいことについて考えてしまうんだけど、考えるうちにどんどん過去になって、そのめちゃくちゃ恥ずかしいことについて考えることが、過去に囚われていることになっていくんですね。
これではダメだ!と気を取り直して、いまやるべきことに集中する。それが「今を生きる」ことなんだ!と、ここまでやってきたような気がします。が。
これではダメだ!と気を取り直したとき、その過去はどうなったの?どこにいったの?ということです。
どこにもいってません。そのままのかたちで、そこにあるんです。しかも、なんとなく、そこにあることはわかってる、けど、見ないふり。散らかった部屋と同じです!!!
散らかった部屋を見た(決して悪意のない)他人に「散らかってるね」と言われてはじめて、散らかった部屋ということを認めざるを得ず、いままで認めていなかったこと含めて、めちゃくちゃ恥ずかしくなる!ということわけなんです。だから、ウワ〜〜〜!!!ってなる。
ウワ〜〜〜!!!
「切り替える」って、忘れる、みたいなことだと思っていた、というか、無意識にそうしていました。いままで。
だけど、そういうことでもないみたいです。
それはそれとして受け入れて、受け入れた上で、次に進む。きっとそういうことなんでしょうね。見ない(ふりをする)ことが受け入れることだと思っていたけど、それってむしろ逆じゃん!!冷静に考えて!!逆じゃん!!
そういう意味で「今を生きる」ことができなくちゃ、元も子もない。ウワ〜〜〜!!!ってなるたび振り出しだもん。
二十歳になっても、小学校の頃の大きな夢や、中学校の頃のウブな恋愛に、恥ずかしい!ウワ〜〜〜!!!となってしまった、ということに、冷静に、恥ずかしい。と思ってしまった一日でした。
それはそれとして受け入れる。過去だけじゃなくて、いまのわたしを取り巻く問題、すべてのことに言えます。
少しずつでもいいから、大人になりたい!
少しずつでもいいから、そういう意味で、大人になって、そうしたらまた、旧友とお酒を飲んでみたいです。
こういうときに思い浮かぶ顔はだいたい決まっています。
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