だれと/中島
こんばんは、おぺです。
23日で稽古納めでしたが、今日もこつこつと製作を進めました。スタッフのみなさま、寒い中、本当にありがとうございました!
ひと段落して、今年もみるちゃん家でクリスマスです。
(みるに「中島」と呼ばれるのがこのブログくらいなので、毎回「何か悪いことしたかな?」という気持ちになります。もちろん、このブログを読んでくださっているみなさんを想定してのことなのですが、毎回まあまあびくっとします。なので、ごきげんをとるようにみるちゃんと呼びました。おぺがいちばん落ち着くけど、より親しくなったがゆえの「中島」だったら、だったら「梓織」のがうれしい中島です。ご参考までに。)
何の話でしたっけ!あ、そうそう、クリスマスの話です。
クリスマスって、どうしてこうも「だれと過ごすか」が問題になるイベントなのでしょうか、ということで、今日はひととひととの関係について考えたことをつらつらしたいと思います。
「名前のない関係」ということについて、ずっと考えています。例を挙げると、友達以上恋人未満とか、そういう感じです。厳密にいうと友達以上恋人未満も名前がある関係だと思うんですけどね。
どれにも当てはまりそうで、どれにも当てはまらない。そんなひとほど、なんだか無視できない存在だったりしますよね。
少し前までは、そんな「名前のない関係」に美しさを感じて、「名前のない関係」をどうにか守ろうとしていた自分がいましたが、近頃は、そんな自分を一歩引いて見ている自分もいます。
「名前のない関係」というとなんだか高尚で難しそうな感じがします(とついこないだまでの自分は思っていました)が、じつはとても無責任な言いわけでもあるのかなと。
たとえば、お互いの間に「恋人」という関係があれば、その関係を保つ約束が自ずと生まれますし、その約束を守る責任が生まれます。お互いの同意の上で、努力の上で、その関係が成り立っているというわけですね。
そこを「別に友達でも恋人でもないから」といざとなったときに、ふいっとできるのが「名前のない関係」です。いつもはそのなんでもない感じのよさによりかかっているくせに、いざとなったときは、責任は取れませんと両手を上げられる。
逆に、もう逆の逆くらいになっていますが、「名前がある」ことによりかかってしまうこともありますよね。「恋人だから〇〇で当たり前」「恋人なのになんで〇〇してくれないの?」そんな言葉が出てくるのはそれです。
わたしはどっちかというとそういうふうによりかかってしまうのが嫌で、「名前のない関係」に魅力を感じているのかも。
でもなんか、そういうことじゃなくない?
「名前のない関係」もそれはもはやもうひとつの名前で、「名前のない関係1」「名前のない関係2」がたくさんいるだけで、無意識のうちにラベルを貼ってしまっていることには変わりない。どんな関係とかその前に、目の前にいるそのひとはまずだれなの?どんなひとなの?
目の前のそのひとそのままではなく、そのひとに貼ってしまったラベル、そのひととの「関係の名前」それだけによりかかってしまうから、なんだかいつもうまくいかない。そうじゃなくて、ちゃんとそのひとのこと、たったひとりのそのひととして、見つめることはできていますか?恋人でも、友達でも、友達以上恋人未満でも、名前のない関係という関係でも。
ちゃんとそのひとのことをそのまま見つめることができたなら、それが本当の意味で「名前のない関係」なのではないでしょうか。
まあ、ゆうて、めちゃくちゃ難しいのですが。
なんてことを言っている間に、クリスマスは終わってしまいました。去年までの自分より、「関係」や「所属」があることやないことに、こだわりがなくなっているということに気づいたクリスマスでした。
あ、いい意味でですよ。
何度でも言いますが、大切なことに気づけるようなできごと、たしかめられるようなできごとが、なんだか最近、とってもたくさん起こるのです。
みるちゃん、寝ちゃいました。
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