かわいい/松浦

かわいい っていうことについて
よく考えてはいたけど、
最近もっと考えています。

「かわいい」って使う場面によって良い意味にも悪い意味にもなるし、
なんかあいまいな概念だし、、

「かわいいは作れる」信者です。
誰でも、かわいいを持っています。それをどれくらい膨らませて見せていくかでかわいい度が決まると思います。
育った環境、まわりの環境で、それをいかに伸び伸び出せるかどうかが決まるんでしょうね。

でも大人になった今、(大人っていうか、まわりを客観的に見られるようになった今)いつまでも環境のせいにしてはいけないのです。
自分のかわいい部分、出したくないですね?恥ずかしいですもんね?嫌いとまで思ってる人もいるかもしれませんね。
多分ね、かわいい部分がひょこっと出ちゃって「かわいい♡」って言われたときについ出る防御反応、をやってる自分が嫌いなんだと思います。

でもさでもさ、防御反応って今まで生きてきた中で必死で作り上げてきた自分を守るバリアじゃんね。
それぞれが色んな辛い戦いを経て、学び培った武器じゃんかね。
そんな簡単に捨てられないよね。

だから、「かわいい」人ってめっちゃ強いんです。あ、私の言うかわいいは、本当に完璧なかわいいね。荒削りとか原石とか垢抜けないかわいさとかいらないから。努力して「かわいい」を構築した人って、自分がもともと持ってるかわいいをうまく分析し利用し増幅させているから、なんかもう気持ちいい。私が好きな女優さんって、みんなそれができる人たちです。



勇気を持ってバリケードをとっぱらって、堂々と我々のかわいいを提示できたらいいですね。

先日楽しそうにかわいいを提示する先輩の舞台を観たのもあって、こんなこと考えています。
自分のかわいいを見失わず、ちゃんと自覚して、生きていきたいものですね。

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